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必要は発明の母、発明は・・・

   

新しいモノにはトゲがある?

横浜の自宅から

 

こんばんわ、ソメヤです。

今日は私の今までの仕事で頻繁に遭遇した、

同世代の人間からすると驚くような出来事をお話しします。

 

「必要は発明の母」産んだ子は親不孝者

ええ、タイトル通りです。

「必要は発明の母」であり、他方では

「発明は必要の暗殺者」であると思うのです。

これは良い意味でも悪い意味でも、ですが。

必要の為に生まれた発明は、

その必要を失わせて、次世代にはないものになる、

そんなことに気づくことがあったので

共有できればと思って書いてみました。

 

先日、飲食店で仕事をしている時に

出会った高校生のお話です。

彼女は、瓶ビールのオーダーの入った伝票を

眺めながらボーっと立ち尽くしていました。

「どうしたの?」と聞くと、

「生ビールはわかるけど”ビール”がわかりません」

と言います。

「向こうの冷蔵庫にある瓶ビールを持って行って」

というと、今度は少々時間がかかりながらも

なんとか探した(であろう)瓶ビールとグラスを持ち、

栓を抜かずに持っていこうとして止めました。

「栓抜きはないから栓を抜いて持って行ってね」

「はぁ・・・」

また立ち尽くしてしまいました。

「よくわかりません」

 

もしかしたら・・・。

ということで私は”栓抜きという道具がある。”

”ビールの上のフタ(栓)を抜くときにこう使う。”

そう指導すると喜んで持って行ってくれました。

残念ながら予感は的中したようでした。

後から聞くとやはり、缶ビールと生ビールしか

見たことがなかったそうです。

しかも、缶ビールはプルトップしか知らないとのこと。

新しい確認項目と指導項目が増えたようです。

 

このように、必要とされるもの、

つまり手軽で安全で取り扱いやすいものを追求し、

不便でもまだ一部で需要があるものが

一般生活では駆逐され、極端に皮肉めいて言えば

「新しいモノ」として存在するということです。

 

そういえばこんな話も・・・

携帯電話という画期的な発明品が

若者を困らせた別の例もあります。

 

携帯電話とメールの発明で、

今までの固定電話とFAXが駆逐されました。

その過程で固定電話の使い方がわからないだけでなく、

携帯電話で電話することが出来ない子供たちが現れています。

携帯電話で電話するときに押すボタン、

電話を切るときのボタン・・・

勘のいい方なら気づきますよね?

あのアイコンは「固定電話」そのもの、

固定電話の動作がアイコン化されているのです。

だから、最初に見た子供たちは戸惑う。

かろうじて電話できても、

いざ切ろうとしても切れない。

発明者はそこまでは想定していないでしょうね。

まさかのイレギュラーです。

 

これは「ゆとり教育の弊害」なのか?

こういう時、年齢層の高い世代(私たち含む)は

高い確率でこうつぶやきます。

「これだから、ゆとり教育は・・・」と。

最近放映されているテレビドラマでは、

そんな響きのタイトルが付けられたものがあり、

話題になっていますね。

 

しかし、これはゆとり前後の技術革新の方に

端を発しているように思えてならないのです。

メールは漢字を覚えるには有用なようですが、

規格化されたタイプ文字は手書きと違い、

感情のこもらない、無機質さを補えないことを

大人は教えてはくれません。気づいていないので。

子供は当然のことながら、小さいころから

タイプ文字コミュニケーションに慣れすぎていて

おしゃべりコミュニケーションとの違いに

気づくことはほとんどない。

その現実を見過ごして、いや大人自体も

飲み込まれてそれどころではないのかもしれない。

 

大人にとっても利便性に慣れすぎていて

もたらした影響力の強さには気づかない。

自分にとっての手軽で安全で取り扱いやすいメリットに

霞をかけられているとは考えられないでしょうか?

それどころか、電話が携帯出来るゆえに

反応の即時性が求められ、仕事も家事も手一杯。

大人も「暗殺者」にやられているんですね。

 

じゃあ、どうすればいいのよ?捨てちゃうの?

原始に還ってナチュラリストとして生活しよう!

などと現代の発明品をバリバリ使いながら

メッセージを送るほど野暮ではありませんよ!

 

考えてみれば当然のことですが、

「馬鹿と鋏は使いよう」ではないですが、

便利な道具は目的を意識して使わないと

あとでしっぺ返しを食らいかねないことは

いつも思いに止めておかないといけないでしょう。

 

そして、若い世代には大人の常識は

どうしても通用しないというのも事実。

これは古代ギリシャの壁画にもありますね。

「これだから、若い者は・・・」

これでは溝は埋められません。

相手の理解度を踏まえて観察し、

大人たちの知恵を伝え、理解を共有する。

そのために大人は努力しなきゃいけない。

 

子育てにも言えますし、従業員教育にも言えますが、

いかに子供の能力を正しく判断できるか。

その能力にどんな知識や知恵が役に立つのか。

「なぜ出来ないのか」から「どうすれば出来るか」

簡単ですが、それさえ忘れなければ

大人たちの思う「困った子」「困った従業員」

は案外生まれないのではないか、

そう思った今日この頃です。

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